なんだかしんどい会社を退職するまで

退職するまでの話 まだ退職できていません

母親への報告

タイトル通り。

会社をやめたいと上司に言ったことを、母親に報告した。

全然関係ない話をLINEでしていた際に、そういえば早いとこ言っといた方がいいよなぁと思い「上司に会社やめたいって言った」とだけ打ち込むと、3秒後に電話がかかってきた。

こわ。

 

母親の第一声は「え、早ない?」だった。

4月頭に就職して、5月中旬にそんな報告をしてしまったのだから、まぁ一般的に考えると、早い。でも私は4月頭からやめたいやめたいとずっと考えていたのだから、それにしてはよくここまで保ったなとも思う。そんなことを思っていると何も返事ができなくて、母親に電話がつながっているかどうかを心配された。

 

とりあえず今すぐやめるわけではないこと、お気持ち表明をしただけだということ、今後の身の振り方はこれから考えることを話した。

「やっぱり合わなかった?会社」と聞かれたので「合わなかった」と答えた。「東京も合わなかった」と答えた。「実際やってみなきゃ分からんこともいっぱいあるよなぁ」と母は言っていた。

 

「今後どうするの、東京は離れるの?」と聞かれたので、もう東京で再就職する気はないことを話した。

私は学生時代、ずっと東京に憧れていた。今思えばなんでそんなに東京に憧れていたのかはよくわからないし、明確な理由なんてひとつもなかったのだと思う。ただ、東京で暮らすことが一度もないままに死ぬのは絶対にいやだと思っていた。地方出身者の中には、同じような感覚を持っている人が何人かいると思う。訳もない東京への憧れと、東京で生まれて東京で生活をしている人に対する理由のない嫉妬を持つ人が。

本当は大学も東京の大学に進学したかったのだけれど、物の見事に全て落ちた。なんとか引っかかった関西の大学で学生生活を送っていたため、その4年間は更に東京へ行きたい思いを燻らせていた。

そして東京での就職が決まった。期待に胸を膨らませ、3月下旬に引っ越した。そして入社式までの一週間、東京でだらだらと過ごした。

東京への憧れは、その1週間でおさまってしまった。後に残ったのは、慣れない土地で慣れない仕事を始めることへの不安だけ。3月31日、私の焦燥感はとんでもなかった。

だから私は、もう東京には一切の未練がなくなってしまったのだ。

次の就職は関西にしようと思うと伝えると、母は「そうかあ」と言った。地元で就職することに固執する親じゃなくてよかった、と親不孝ながら思ってしまった。地元にはたぶん、公務員以外の職はあまりないだろうから。

 

それにしても、親とそういった話をするとなんだか妙に感傷的になって、涙もろくなってしまう。

最初は単に現状報告といった具合の連絡だったのに、だんだんと私の不安だとか不満だとか、そういったことも話してしまった。

業務がとてもつらいのに同期がみんな平気そうな顔をしている、だからそんななかで折れる自分はひどく心が弱いんじゃないか、とか。

東京に来る際にマンションの敷金や礼金を親に払ってもらったのにすぐ東京からいなくなるなんてだめなんじゃないか、とか。

広告会社に入ったのにやることがひたすら建築会社や工務店に営業をかけることで、そりゃそういう事業もやっていることは知っていたけどそれが仕事のメインだなんて聞いてないよ、とか。

そもそも営業きついよ、とか。

母はそれをうんうん言いながら聞いていた。

最後に、家族はみんなあんたの味方だからね、なんかあったらかーさんでもとーさんでもねーちゃんでも誰でもいいから連絡しなね、と言った。

それを聞いて、またウワーンと泣いた。

 

上司や友人に話した時も思ったけれど、私の周りの人は、私のつらさとか苦しさとかを否定しないから、ありがたい。

そこに支えられている気がする。とても。